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最終改訂 2015年3月5日 研究の内容(ギリシャ数学)何を研究しているのか?古代ギリシャの数学史を研究しています.その関連でルネサンスの数学についても調べることがあります. 古代ギリシャ数学とは?数学はどの文明にもありますが,論理的厳密性を重んじ,証明を積み重ねていく「論証数学」は,古代ギリシャの発明です.これを研究対象にしています.そのスタイルは,中学で習う初等幾何のようなものです.というのは学校で教える初等幾何の起源は,エウクレイデスの『原論』を19世紀に教育用にアレンジしたものだからです. 時代で言うと紀元前5世紀半ば(前450年頃)から紀元後600年頃まで一千年以上の広がりがありますが,実はずば抜けて重要な数学者が3人います.
何が問題なのか?
の3つが現在の大きなテーマです.少し詳しく説明しましょう.
まず,世界のどこにも類を見ない論証数学が,なぜ,どのように古代ギリシャで成立したかという問題があります.紀元前6世紀の前半に活躍したタレスや,同じ世紀の後半に活躍したピュタゴラスがギリシャ数学の創始者であるとされてきましたが,これはすでに否定された過去の伝説です.いまだにこのようなことを書いている本は少なくないのですが,誤った俗説を広めることのないよう,特に教壇に立たれる方にお願いいたします.論証数学は,紀元前5世紀半ばの民主政のアテナイ(アテネ)で成立したと私は考えています.もう少し詳しい説明は,拙著『ユークリッド『原論』とは何か』を参照ください. 次に,成立してしまった論証数学の姿は,エウクレイデスの『原論』が現存するので知ることができます.1970年代までは,『原論』を詳細に研究することで,論証数学成立の過程を明らかにしようとする研究が主流でした.つまり『原論』を,『原論』以前の数学史を知る手掛かりとしてきたわけです.ところが現存するギリシャ数学文献というのは,『原論』も含めて,紀元後9世紀以降の写本です.近年になって,ギリシャ数学文献のアラビア語訳写本の研究が進展するにつれて,我々がギリシャ語写本によって知っているギリシャ数学の著作の内容は,エウクレイデスなどの原著者の著作に,相当大幅な改訂が加わっていることが明らかになってきました.すると,『原論』を数学的・文献学的に分析しても,そこから分かるのは後世の校訂の跡であって,『原論』以前の数学の痕跡を知ることは困難です.こうして数学文献の分析からギリシャ数学の起源を探求するというアプローチは見捨てられ,20世紀に盛んに行われた研究のかなりの部分は無価値なものとなりました. すると,今度は現存写本の内容の分析から,エウクレイデス以降に追加・改訂された部分を特定し,紀元前3世紀に存在した,もともとの『原論』の内容を可能な限り復元することが課題になります.つまり『原論』の分析は,『原論』成立以前でなく,成立以降に起こったことを知るためにおこなわれることになります.このことが明確に認識されたのは,1996年にWilbur Knorr (1945-1997)が,"The Wrong Text of Euclid"と題された論文で,『原論』第12巻のギリシャ語テクストに多くの追加が含まれることを,アラビア語・ラテン語の伝承との比較で明らかにしてからです.Knorrはその翌年に早世してしまいますが,1990年代に『原論』の新しいフランス語訳を出版しつつあったBernard Vitracがこの問題意識を引き継ぎ,きわめて綿密な研究を進めています.新しい日本語訳が出版されつつある『エウクレイデス全集』の『原論』の部分は私の担当ですが,その解説でやたらと「この部分は後世の追加と思われる」といった指摘があるのは,現在の研究動向を反映しているわけです.以前は1880年代にHeibergが校訂・出版したギリシャ語『原論』が,まるで聖書のように崇められていて,そこに書いてあることはすべてエウクレイデスの言葉であると考えられていたことを思えば,隔世の感があります. ギリシャ数学の最も高度な展開は,アルキメデスとアポロニオスの著作に見ることができます.大雑把に言うと,アルキメデスの面積・体積の決定は,近代の微積分学を準備することになり,アポロニオスによる円錐曲線(放物線・楕円・双曲線)の扱いは,デカルトが発明した解析幾何(座標による図形の扱い)を準備することになりました.しかしそれではなぜアルキメデスやアポロニオスがいきなり微積分や解析幾何を発明できなかったのでしょうか.それは簡単にいえば,直線の長さや図形の面積といった幾何学量を,図形やその位置から切り離して,操作(計算)の対象とする考え方がなかったからです.古代ギリシャに証明はありましたが,計算は証明でなかった,と言ってもいいでしょう.実際,彼らの著作をじっくり読んでいくと,驚くことが二つあります.一つは彼らの素晴らしい才能であり,もう一つは,そこに現れる幾何学量を図形から切り離して計算の対象するという,私たちに馴染みのある発想が完全に欠如していることです.古代の大数学者と近代数学との距離には驚くほど大きなものがあります.そういうわけで,私の研究の多くは,近代以降の数学を知ってしまっている現代人が見逃しがちな「古代と近代の距離」を指摘し,強調するものです.それは単なる懐古趣味ではなく,現代の科学技術の基礎でもある,近代数学がどれほど偉大なものであるかを再認識することでもあるわけです. |