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last update 11/Sep/2015

『エウクレイデス全集』第2巻(原論VII-X) (2015年8月刊行)

『エウクレイデス全集』第2巻正誤表Ver 1.00 (2015年9月11日版)
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冒頭口絵(iページの前)キャプション 数値については本文参照. 数値については本文13ページ参照.

写本から描きおこした図を全命題に対して掲載しました

本全集の底本は1880年代に出版されたハイベアのギリシャ語校訂版です.そこで全集第1巻では図版も底本にしたがっています.ところが第1巻の解説でも述べたように,底本の図は,1820年代のアウグスト版からの丸写しです.そのアウグストは教育的配慮からと思われますが,できるだけ一般的に見える図を描いています.たとえば直角とは限らない角は直角にしないとか,二等辺と限らない三角形は不等辺三角形として描くとか.これと対照的に,写本は直角とか二等辺三角形が大好きです.

しかし,幾何学の命題ではアウグストに由来する底本の図のほうが命題の理解に便利です.それもあって全集第1巻では写本の図と異なることを承知で底本の図を掲載していました.底本に従うのが原則だから,という言い訳もありました.

今回の第2巻の前半は整数論です.アウグストは整数論では命題の実例となる数値を並べるだけで,基本的には図を省略します.(例外は,帰謬法の議論で実例の数値が存在しない場合,2数の和や差が図の上で表わされる場合です.)ハイベアは,さすがに原文にない数値を書くことはせず,図版を復活させますが,写本の図とはまったく違う図を描いています.しかしこれが大失敗でした.

簡単に言うと,写本の図では線の長さでなく配置に意味があります.ハイベアは線の配置を無視して,線の長さが数の大小に対応するようにしました.しかし線の長さと数の大小に関する配慮は命題の理解のためにまったく無益で,逆に彼が無視した線の配置はきわめて重要でした.

命題VIII.2(P写本の図)

命題VIII.2(P写本の図)

命題VIII.2(ハイベア版の図)

例として第VIII巻命題2の図を見ましょう.命題で要求されているのは,与えられた比において順次比例する最小の数を,指定された個数だけ見出すことです.以下,少し現代的な言葉で説明します.たとえば比が2対3で,個数が4個なら,答は8, 12, 18, 27,つまり23, 22• 3, 2• 32, 33です.『原論』では与えられた比を最小の数で表わしてA対Bとして,Aの平方をG, AとBの積をD, Bの平方をEとし,さらにAとG, D, Eの積をそれぞれZ, H, Qとし,BとEの積をKとします.するとZ, H, Q, Kは現代的な表記ではA3, A2• B, A• B2, B3であり,これらが求める4数です(最小であることは別に証明されます).

この命題に対する写本から描き起した図と,底本の図を(ほぼ忠実に)写した図を比べてみましょう.写本の図では,連続して比例する数,すなわち3数G, D, Eと4数Z, H, Q, Kが横に並べられていて,数の間の関係がすぐに分かります.底本の図ではそうはいきません.写本の図の方がすぐれていることは明らかです.

ハイベアの底本の図は,ヒースの英訳をはじめ,その後のあらゆる翻訳で使われてきましたから,1880年代以降,140年間もの間,ハイベアが勝手に描いた分かりにくい図で『原論』の整数論は読まれていたのです.いや,そのために読まれて「いなかった」のかもしれません.

整数論の命題を,写本の図を参照しながら読めるのは,世界中でも今のところ日本語のこの全集だけです.

整数論(原論VII-IX)の内容について

図のことだけでなく,内容についても少し説明しましょう.『原論』の第VII巻から第IX巻は,部分(約数),多倍(倍数),素数など,数(自然数)に関する議論です.現代の初等整数論と対応する内容が多く,簡単に「整数論」と言われてしまいますが,詳しく読んでいくと,エウクレイデスの概念や技法は我々の整数論と大きく違います.

  • 基本となる概念は,数aが数bを「測る」(bからaを繰り返し差し引くと余りがなくなること.現代風に言えばaがbを割り切ること)という,約数である)ということです.
  • 多倍する(掛け算をする)ことに関する命題はかなり後になります.
  • そしてこれが大事なことですが,エウクレイデスは多倍(乗法)によって生じる数に新しい記号を割り当ててしまいます.たとえばAがBを多倍してつくる数をGとしてしまいます(Gはギリシャ語のガンマで,これはアルファ,ベータの次の3番目の文字ですから,途中の文字を飛ばしているのではありません).我々はこのときG=ABと書いて,GがAとBの積であることを記号で表わすことができます.これによってGが因数A, Bを持つこともすぐ分かります.しかしエウクレイデスにそういう記法はないのです.(上の第8巻命題2がその一例です.そこではAの2乗はG, 3乗はZです.)
この最後の事実は重大です.積をabのように書く記法がないため,数を次々に掛けていって多数の数の積をつくっても,それを因数の積として見ることができないのです.このことは実際に証明の手順に影響しています.簡単に言えば,エウクレイデスには「3つ以上の数の積」とか「数を素因数の積に分解する」という概念がない(と言わないまでも,有効に利用できていない)のです.

非共測量論(原論X)について

第X巻は従来「通約不能量論」(この全集では「非共測量論」)と言われますが,単に共測でない(通約不能な)量を扱うのではなく,平方においても非共測な量を扱います.たとえば正方形の辺sと対角線dは互いに非共測ですが(dはsのルート2倍),それぞれを一辺とする正方形を作ると,s上の正方形の2倍がd上の正方形に等しいので,これらは「平方において共測」です.

このように正方形を作って比較しても,なお非共測であるような量が,第X巻で扱われます.それは現代の数のイメージで言うと,4乗根とか,ルート3とルート2の和(または差)とかそういうものに相当します.

第X巻は難解であると言われていますが,実は30年も前にWilbur Knorrが喝破したように,第X巻はたった一つの問題を扱うものです.その意味では『原論』の中でも最も単純な巻と言えなくもありません.そのたった一つの問題,Knorrがfundamental problemと読んだものは,私達に馴染みがある問題になぞらえれば,二重根号を外す問題に似ています.ギリシャ人が二重根号を外そうとしたというわけではなく,『原論』第X巻が扱う問題を,代数的記号で書くと二重根号を扱う問題になるということです.この問題を中心に組み立てられている第X巻の構造をできるだけ明快に解説しました.

なお,Knorrのこの論文は,1985年に日本科学史学会の欧文誌Historia Scientiarumに掲載されました.当時の編集長は村田全先生でした.村田先生ご自身も『原論』第X巻には非常に関心を持って,その後論文を書いておられます.

第X巻は数学的には明快でも,そのテクストの伝承は非常に複雑で,多くの補助定理や注釈が追加され,またアラビア語での伝承はギリシャ語テクストと相当違っています.現存ギリシャ語写本のテクストをエウクレイデスが書いたものと信じてありがたがる時代は終りました.写本の伝承に関する問題をできるだけ紹介し,テクストの信頼性についても踏み込んだ議論をおこないました.

第2巻目次

『原論』解説
『エウクレイデス全集』総序 i
凡例 vii
1
第1章:底本・写本・図版について 4
第2章:数論諸巻解説 14
第3章:第X巻解説:概念・術語と「根本的問題」 59
第4章:第X巻の構成 85
第5章:第X巻の成立と伝承 114
『原論』VII-X巻 123
参考文献 511
用語索引 515
人名索引 521

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